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FRIDAY KHUTBA OF TOKYO CAMII
2004年8月27日
テーマ:イスラームを説く際のメソッド
ムスリムの皆様。
イスラームは、人々に信じるか信じないかの自由、あるいは、求める信仰、教えを選ぶ自由を認める、普遍的な教えです。ただイスラームは、その選択の自由を認めると同時に、それらの結果をも明らかにし、人々に教えています。
洞窟章第29節においては「言ってやるがいい。『真理はあなたがたの主から来るのである。だから誰でも望みのままに信仰させ、また(望みのままに)拒否させなさい。』本当にわれは、火を不義者のために準備している。その(煙と炎の)覆いは、かれらを取り囲む。」と、明らかに示されています。
ムスリムの皆様。
イスラームは、人々に信じる自由を認める上で、強制的な布教はしないという基本を持ち、またこの基本を守る教えです。ただイスラームは、誤った信仰を持つ人々に、その信仰が誤ったものであることを教えることが、一つの宗教的な責任であることをも明らかにしている教えです。
蜜蜂章第125節では「英知と良い話し方で、(凡ての者を)あなたの主の道に招け。最善の態度でかれらと議論しなさい。あなたの主は、かれの道から迷う者と、また導かれる者を最もよく知っておられる。」と啓示されています。
また雌牛章第256節では「宗教には強制があってはならない。正に正しい道は迷誤から明らかに(分別)されている。それで邪神を退けてアッラーを信仰する者は、決して壊れるこニのない、堅固な取っ手を握った者である。アッラーは全聴にして全知であられる。」と、ユーヌス章第99節においては「もし主の御心なら、地上の凡ての者は凡て信仰に入ったことであろう。あなたは人びとを、強いて信者にしようとするのか。」とされ、イスラームにおける布教と解説のあり方を意味深い形で解き明かしています。
兄弟姉妹の皆様。歴史をひもといていくと、次の点が明らかになります。すなわち、布教者たちの先導者である預言者たちは、教えを、助言を与えたり、願望を抱かせたり、愛させたりといった概念でもって解き明かしました。その明快な例として、暴虐さにおいて歴史に名を残したような人々に対してさえも、アッラーの道へ導く際、優しい表現が用いられていることが注意を引きます。
ター・ハー章第43節及び44節において、次のように啓示されています。「あなたがた両人はフィルアウンの許に行け。本当にかれは高慢非道である。だがかれにもの静かな説き方で語れ。かれは訓戒を受け入れるか、またはわれを恐れるであろう。」
ムスリムの皆様。
イスラームを解く上では、常に、寛容さや、道しるべになるような知らせと共に語られることが必要です。この点において、私たちの言葉や振る舞いがそれぞれを補い合うものとなるよう、注意しなければなりません。
戦列章第2節及び3節では以下のように啓示されています。
「信仰する者よ、あなたがたはどうして(自ら)行わないことを口にするのか。あなたがたが行わないことを口にするのは、アッラーが最も憎まれるところである。」
 
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