東京モスク・金曜礼拝のホトゥバ

 

 

 
FRIDAY KHUTBA OF TOKYO CAMII
 
2004年4月16日
テーマ:愛情と慈しみの教えイスラーム

ムスリムの皆様。

クルアーンの表現によるとイスラームとは、恥ずべき行為から遠ざかること、信頼を保持していること、平和のうちに生きること、服従すること、憐れむこと、といった意味になります。


イスラームとは、最後で、そして普遍的な預言者であられる聖ムハンマドに下された、完全なる知識に依る、生の教えなのです。この教えを信じる人々をムスリムと呼びます。だからムスリムとは、信頼の中に生き、恥ずべき行為や過ちから遠ざかり、憐れみや慈しみといった感情に満ち、規律正しく、人当たりもよく、生命や愛情に満たされた人のことです。
 

イスラームは、天性のあり方に適した教えであり、生き方の教えであります。だからイスラームは、人間の精神的、肉体的構造に適した命令や指図をもたらしているのです。


タウヒード(アッラーの唯一性)の信仰は、精神と肉体の統合によって成り立つ人間の存在における統一性、一体性を象徴するものとなります。だからタウヒードへの信仰は、人生の真実、精神と肉体の統一性に適した信条なのです。
 

ムスリムの皆様。完成された存在である人間やその他の生命体は、異なる被造物の集合によってその存在を成り立たせています。この集合の基盤となっている要素は愛情です。愛情が人生の全ての場面で礎石となるのと同様、イスラームの礎石もまた愛情です。


創造主であられ、生命を授けられるお方であられるアッラーがしもべを愛されることは疑いもないことです。アッラーはそのご命令、お指図が、愛情と共に心にとどめられることを望まれます。そして、禁じられた事項から遠ざかることについても、愛情を持って耐えることを望まれます。


天性のあり方といった側面から私たちに教えられた偉大なるアッラーは、ビザンチン章第30節において、次のように仰せられておられます。
 

「それであなたはあなたの顔を純正な教えに、確り向けなさい。アッラーが人間に定められた天性に基づいて。アッラーの創造に、変更がある筈はない。それは正しい教えである。だが人びとの多くは分らない。」


ムスリムの皆様。

この章句は、教えと集団のあり方における関わりにおいて非常に意味深いものです。イスラームの教えは人の天性に位置を占めるものであり、またそれに適したものであるからです。


イスラームの教えは人間や社会のあり方に矛盾するものではありません。普遍的なあらゆる事項とも矛盾するものではありません。イスラームはこれら全てのものの本質に存在するのです。先ほどの章句はこの点を明らかに示しています。


ムスリムの皆様。

アッラーの免罪は広く行われるものです。人がどれほど過ちを犯していようと、犯した罪がどれほど大きいものであろうと、アッラーのお赦しの前ではそれは些少なものとなります。重要なのは、しもべが、自らの悪事、罪に気づき、それらを放棄することなのです。アッラーからお赦しを乞うことなのです。なぜならアッラーは慈悲深きお方であられ、そのお赦しも広く行われるからです。


集団章第53節では、次のように仰せられておられます。


「自分の魂に背いて過ちを犯したわがしもべたちに言え、『それでもアッラーの慈悲に対して絶望してはならない』アッラーは、本当に凡ての罪を赦される。かれは寛容にして慈悲深くあられる。」

 

 

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