東京モスク・金曜礼拝のホトゥバ

 

 

 
FRIDAY KHUTBA OF TOKYO CAMII
 
2004年4月9日
テーマ:努力

ムスリムの皆様。

被造物の中で最も栄誉ある存在として創造された人間に、アッラーはこの世において限りのある生を授けられました。だから人間は、この限られた生の、あらゆる瞬間に対して責任を持ち、責任が問われる立場にあるのです。だから人は、この限られた生を十分活用し、また十分な計算に基づいて振舞わなければならないのです。
人が時間を、適切な形で活用することは、その人が十分に努力することによって可能となります。この世とあの世における生の平安と幸福は、ただ、効果的で有効な努力に結びついたものであるからです。


アッラーは、星章第39節及び40節で、次のように仰せられておられます。
「人間は、その努力したもの以外、何も得ることは出来ない。その努力(の成果)は、やがて認められるであろう。」
 

ムスリムの皆様。

世界の王である預言者ムハンマド(かれの上に平安あれ)は、その生涯において自ら努力を続けられ、またそれを推奨されました。全ての事項においてそうであるように、この点においても模範となられた預言者ムハンマド(かれの上に平安あれ)は、メディーナの最初のモスクの建設の際、石材の運搬を行なわれ、またご自身の家においてもあらゆる奉仕を行なわれました。預言者ムハンマド(かれの上に平安あれ)は、他人の重荷になることではなく、他人への援助者となることを原則と定められた預言者であられたのです。


聖ハディースにおいては、
「人が、自らの手で得たものを食すること以上に、価値のある食事をすることはない。 
 

アッラーの預言者聖ダーウードすら、自らの労によって得たものを食した。」とおっしゃられたのでした。
 

ムスリムの皆様。

何事においてもそうであるように、ムスリムは、努力、勤労といった点においても、この世とあの世双方を考慮しなければなりません。この世で他人の重荷となり、あの世においても宗教的実践や善行なしで過ごすことになるのは決して懸命なやり方ではありません。人はこの世をも、あの世をも、この世界における物質的、精神的な勤労、努力によって獲得するのです。なぜならこの世は人にとって努力して成果を得る地であり、あの世のための畑のような意味を持つものであるからです。


体系的に勤労、努力を続ける人が、この世において豊かさのうちに生を過ごすであろう事は明らかです。その人のこの努力の報いは、天国でも与えられるということが、蜜蜂章第97節で明らかにされています。
「誰でも善い行いをし(真の)信者ならば、男でも女でも、われは必ず幸せな生活を送らせるであろう。なおわれはかれらが行った最も優れたものによって報奨を与えるのである。」


本日のフトバを、悔悟章第105節によって締めくくりたいと思います。
「(かれらに)言ってやるがいい。「(善い事を)行え。アッラーはあなたがたの行いを御存知であられる。かれの使徒と信者たちもまた(見ている)。やがてあなたがたは、幽玄界と現象界を知っておられる方に帰される。その時かれは、あなたがたにその行ったことを告げ知らせる。」

 

 

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