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FRIDAY KHUTBA OF TOKYO CAMII
2004年3月26日
テーマ:信仰と行動の一致
ムスリムの皆様。
人はその天性のあり方から、物質的及び精神的という二つの側面を持つ存在です。肉や骨から形成される物質的、肉体的側面と、人間に生を獲得させる精神的、魂にかかわる側面です。
この二つの側面を、本来のあり方の特徴に適した形で均衡を保っていくことは、この双方に必要な重要性が与えられ、必要な形で注意深さが示されることによって可能となります。
物質的な側面の発達と継続は、私たちが摂取する食料や、健康に注意を払うことによって可能となります。
精神的な側面に関しては、信仰とそれに結びついた行動、すなわちイバーダを続けることによって可能となります。なぜなら、信仰が指令塔となっている心の平安は、アッラーを唱念し、しもべとしての任務を必要な形で果たすことによって可能となるからです。
アッラーは雷電章第28節において、「これらの信仰した者たちは、アッラーを唱念し、心の安らぎを得る。アッラーを唱念することにより、心の安らぎが得られないはずはないのである。」と語られています。
ムスリムの皆様。
あなたがたは、手当たりしだいに畑にまかれ、必要な世話がされていない作物から、収穫があがるのを見たことがありますか。あるいはあなたがたは、この世に生まれてきた赤ん坊に必要なかかわりがもたれず、注意深さも示されないままの状態で成長し、発達していくのを見たことがありますか。
ないに違いありません。なぜならそれらはありえないことだからです。
このように、信仰と行動の間には非常に強い結びつきがあります。クルアーンの多くの箇所で、信仰と誠実な行動は同時に述べられ、ムスリムたちが真摯な行動をとることによって物質的、かつ精神的に発達することを繰り返し強調しています。
なぜなら、思考や心といった段階から行動や行為といった段階にうつっていない信仰は、果実を実らせない木のようなものだからです。心における信仰の灯を消すことなくその存在を継続させ、力を増すことは、イバーダとその継続によって可能となります。人は、ただ信仰だけを行い、イバーダに重きをおかず、禁じられたことを行なっているのであれば、信仰やアッラー、預言者に対する結びつきや信仰が弱まり、いつか心にある信仰の灯も消えてしまうでしょう。 だから、信仰を強め、アッラーのご承認を得て、結果地獄の懲罰から逃れ、無限の恵みを授かるためにも、イバーダの重要性は非常に大きなものとなるのです。
アッラーは、雌牛章第25節では
「信仰して善行に勤しむ者たちには、かれらのために、川が下を流れる楽園に就いての吉報を伝えなさい。」と、婦人章第122節においては
「だが信仰して善い行いに励む者は、われはやがて、川が下を流れる楽園に入らせ、永遠にその中に住まわせよう。」
とおおせられておられます。
 
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