東京モスク・金曜礼拝のホトゥバ

 

 

 
FRIDAY KHUTBA OF TOKYO CAMII
 
2004年2月27日
テーマ:ヒジュラ暦1425年においてアッラーの使徒を理解すること

ムスリムの皆様。

ヒジュラ暦1425年において、私たちには慈悲深き預言者聖ムハンマド(かれの上に平安あれ)を、正しく理解し、人々に伝え、模範的な生き方をしていく責任があります。


なぜなら、今日、人びとが、苦しみ、悩まされている困難な状況から救われ、安らぎを得ることは、ただこのお方を正しく知り、理解し、模範的な徳や生き方を実践することにかかってくるからです。わたしたちは人間として、預言者ムハンマド(かれの上に平安あれ)を理解し、その特徴と美点において理解する必要があるのです。


ムスリムの皆様。

聖ムハンマド(かれの上に平安あれ)は本当に偉大な預言者であられました。その神聖なお心はいつでも人間への愛情に満たされていました。この世界はそのお方に匹敵するほどの存在にかつて出会ったことはなく、またこれからも出会わないでしょう。アッラーは、慈しみの預言者、聖ムハンマド(かれの上に平安あれ)のこの特徴を、悔悟章第128節で


「今、使徒があなたがたにあなたがたの間から、やって来た。かれは、あなたがたの悩みごとに心を痛め、あなたがたのため、とても心配している。信者に対し優しく、また情け深い。」

 

と表されておられます。聖ムハンマド(かれの上に平安あれ)の心は人びとへの愛情で満たされており、教友たちにクルアーンを読まれる際にさえ、涙をこらえることができないほどでした。教友にクルアーンを読まれ、突然その神聖な目から涙があふれるのでした。雌牛章第24節の、「それならば、人間と石を燃料とする地獄の業火を恐れなさい。」と読まれ、慈悲深い預言者は泣かれたのです。被造物の中で最も誉れある特性の持ち主である人間が、地獄の燃料となることが、そのお方を泣かせたのでした。


ムスリムの皆様。

預言者ムハンマド(かれの上に平安あれ)は、23年間の預言者としての生活において、常に「わたしのウンマよ、ウンマよ。」と言われ、ウンマが赦されること、人々が救われることのため、アッラーに願い続けました。そして涙を流されておられたのでした。

ある時、アブドゥラー・イブニ・メスドが読む婦人章を聞いておられました。婦人章の第41節が読まれた時、突然涙を流され、その涙はその神聖なひげをも濡らしたのでした。この章では何が述べられているのでしょうか。
「われが、それぞれのウンマから一人の証人を連れてくる時、またあなた(ムハンマド)を、かれらの悪に対する証人とする時は、どんな(有様)であろうか。」


この、神のメッセージがこのお方を泣かせたのでした。なぜならこのお方は慈しみの預言者であられたからです。


ムスリムの皆様。

預言者ムハンマド(かれの上に平安あれ)は、そのウンマの為、人びとの為、これほど悲しまれ、人々の幸運と救いの為にこれほど努力をされておられるのです。わたしたちは何をすべきなのでしょうか。イムラーン家章第31節では、


「言ってやるがいい。『あなたがもしアッラーを敬愛するならば、わたしに従え。そうすればアッラーもあなたがたを愛でられ、あなたがたの罪を赦される。アッラーは寛容にして慈悲深くあられる。』」と啓示されています。だから、このお方を心から愛し、結びつきを持つことです。これはどのようなあり方をとるべきでしょうか。教友の一人、フバイブ・ビン・アディーが、かっとして何もわからなくなった残虐な偶像崇拝者たちによって死刑にされることになった時、偶像崇拝者たちはあざけりながら彼に、「フバイブよ、ムハンマドがあなたの身代わりになればいいと思っているか。」と尋ねました。ここでの彼の返事に注目してください。預言者への愛情、結びつきとはこのようなものなのです。彼は、「いや。わたしの命とひきかえであったとしても、あのお方の足にとげがささることすらわたしは認めない。」


ムスリムの皆様。

アッラーの使徒(かれの上に平安あれ)を愛することとは、このお方を知り、説明する為、彼が引かれた輝かしい光の道を歩くことなのです。人々がこのお方を正しく理解した時には、苦痛や困難も終わりを迎えるでしょう。

 

 

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