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FRIDAY KHUTBA OF TOKYO CAMII
2004年2月20日
テーマ:ヒジュラ暦1425年
「信仰して移住した者たち、アッラーの道のために奮闘努力した者たち、またかれらに避難所を提供して援助した者たち、これらの者は等しく真の信者である。かれらに対しては、寛容と栄誉ある御恵みがあろう。」(戦利品章第74節)
ムスリムの皆様。
クルアーンでは、過去の預言者たちやそのウンマが、信仰しない人たちによって移住を強いられたこと、そしてその人びとが信仰のために祖国を放棄して他の土地に移っていったことを明らかにしています。預言者ムハンマド(かれの上に平安あれ)と、最初期のムスリムたちも、以前の預言者たちやウンマと同様の目にあったことは言うまでもありません。
アッラーの使徒(S.A.V.)がメッカにおいてイスラームの布教を始められた時以来、メッカの偶像崇拝者たちはムスリムに対して否定的な態度をとり始めました。彼らの否定的な態度は、単にイスラームの否定にとどまらず、抑圧へと、さらには日を追ってムスリムの数が増えていくのにしたがって拷問や残虐行為にまで及ぶようになったのでした。これでも十分とは思わなかった偶像崇拝者たちは、ムスリムたちに対して3年間の断絶を決定したのです。
ムスリムの皆様。
迫害や弾圧が耐えられない状況になった時期、アッラーの使徒(S.A.V)がイスラームを語るため、また援護の目的で訪ねられたターイフの町で、ひどい扱いを受けられました。それでも預言者(S.A.V)はこの布教活動を断念されることはありませんでした。それはできないことでした。なぜならこのお方は慈悲に満ちた預言者であられたからです。
ターイフからメッカへ戻られた預言者(SA.V)が、アカバと呼ばれるところで知り合ったマディーナのムスリムたちは、アッラーの使徒(S.A.V)とその信者たちをマディーナへ招待しました。メッカの状況が耐え難いものとなったため、そしてアッラーの使徒(S.A.V)もムスリムのために移住の許可を与えられたため、ムスリムたちは個人、もしくは団体としてマディーナへ移り始めたのでした。
この状況は、メッカの偶像崇拝者たちを激怒させました。なぜなら、どれほどのことをしてもイスラームをとどまらせることができず、彼らの心を支配することができなかったからでした。ダールンネヅヴェと呼ばれる会合で集まった偶像崇拝者たちは、アッラーの使徒(かれの上に平安あれ)の殺害を決定します。しかしこの決定を、ジブラーイールは即座にアッラーの使徒(S.A.V)に知らされます。
この状況にあって、アッラーの使徒(S.A.V)の忠実なる親友 聖アブー・バクルの家に行かれ、マディーナへの移住を決意され、13日間続く困難な、しかし神聖な奇跡に満ちた旅の後、マディーナの住民たちの喜びの中、マディーナへ到達されるのです。西暦では622年になります。
ムスリムの皆様。マディーナへの聖遷は、全く新しい時代の始まり、新たな精神の発展となったのです。それはイスラームの歴史の転換のポイントとなり、耐え忍ぶ時代から活動の時代への移行でした。
聖ムハンマドの聖遷は、メッカの悪条件からの逃避ではなく、逆に、イスラームの規則を実践できる、新たな条件や環境、世界の探求でした。
ムスリムの皆様。
聖遷はこういった精神、気概の中で行われたのでした。イスラームはこの精神とともに発展しました。最初期のムスリムたちはこれほどの迫害や抑圧を受けつつも、忍耐と服従によってこの偉大な信託を我々にも伝えたのです。私たちはこの信託を実践し、生かしていかなければなりません。
アッラーの使徒(かれの上に平安あれ)は、ハディースにおいて、「真の聖遷とは、悪を放棄することである。」「真の移住者とは、アッラーが禁じられたことから遠ざかり、それを放棄する者である。」とおおせられておられます。
明日、我々が新たに迎える、ヒジュラ暦1425年を祝福し、私たち皆が真の聖遷を行う者、真の移住者となることを、アッラーに乞い、願います。これによってイスラーム世界に平和と幸福が訪れることを願います。
 
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