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FRIDAY KHUTBA OF TOKYO CAMII
2004年2月1日
テーマ:犠牲祭(イード・ル・アドゥハ)
ムスリムの皆様。
イード・ル・アドゥハを迎えた喜びとともに、私たちに今日の日を迎えさせてくださったアッラーに感謝いたします。今日、イスラーム世界における何百万人ものムスリムが、信仰を持つということ、預言者ムハンマド(かれの上に平安あれ)の道にあるということの喜びのうちに、この偉大な日を祝っています。何百万人ものムスリムが、大きな喜びと興奮の中、聖カーバの周囲を廻り、崇高なるアッラーに感謝し、アッラーを称えて、メッカ巡礼という義務を果たしているのです。
今日から始まる日々は、イード・ル・アドゥハの日々です。犠牲を捧げる行為は、財産に関わるイバーダであり、アッラーが下さったお恵みや存在への感謝の表示であり、同時に聖イブラーヒームのスンナの実践でもあります。犠牲を捧げる行為は、ムスリムが偉大なるアッラーに近づく機会となる、一つのイバーダです。礼拝によって始まるこの接近は、犠牲を捧げる行為によってさらに進んだ段階に到達します。
ムスリムは、アッラーの為に捧げた犠牲の血によって、罪が流れ去ったことを、精神世界にもたらされるこの上なく深い心地よさとともに感じるのです。なぜなら犠牲は、アッラーへの従順とアッラーの為の献身の、最も明確なあらわれであるからです。ムスリムは、アッラーのご満悦のみを求める気持ちと、この信仰とともに犠牲を捧げるのです。
家畜(アンアーム)章第162節においては、アッラーは、「言ってやるがいい。『私の礼拝と奉仕、わたしの生と死は、万有の主、アッラーのためである。』」と語られています。
巡礼(ハッジ)章第37節においては、それらの血も肉も、決してアッラーに達する訳ではない。かれに届くのはあなたがたの篤信である。」と、また潤沢(カウサル)章第1・2節においては、
「本当にわれは、あなた(ムハンマド)に潤沢を授けた。さあ、あなたの主に礼拝し、犠牲を捧げなさい。」と仰せられておられるのです。
ムスリムの皆様。犠牲を捧げることは、個人の面からも社会の面からも重要な効果を持つ、崇高なイバーダです。社会において、分け合うこと、助けあうこと、与えること、団結すること、一つになることといったような精神を力強く維持する、大切なイバーダです。
それは、裕福な人たちに分け与えること、貧困にある人々に思いを寄せさせ、貧困にある人々にも、気にかけてもらっている、忘れられてはいないという感情を与える意味深いイバーダです。
幸福なイードの日々は、ムスリムたちの中にある愛情、友情、団結、統一、共存という思いが、最高地点にまで到達する日々なのです。お互いをアッラーの為に愛し、敬意を払いましょう。私たちの愛情はアッラーの為のもの、預言者ムハンマド(かれの上に平安あれ)の為のものであるべきです。アッラーの為ではない愛情は、長く続くものにはなりません。いつかはなくなるのです。
イードによって、遠くに住む友人や親戚の近況を尋ね、イードがもたらす精神的雰囲気を味わいましょう。これを機会に、この世を去ってしまった人たちのことも、慈しみとドゥア−とともに思い起こしましょう。
こういった思いのうちに私たちが迎えている犠牲祭(イード・ル・アドゥハ)を祝福いたします。イスラーム世界に安らぎと幸福をもたらすこと、そして全ての人々にも信仰への導きと平和をもたらすものとなることを、偉大なるアッラーにドゥア−し、願っております。
 
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