東京モスク・金曜礼拝のホトゥバ

 

 

 
FRIDAY KHUTBA OF TOKYO CAMII
 

2003年11月14日
テーマ:イスラームとザカート
 
ムスリムの皆様。イスラームの五つの基本のひとつ、財産に関するイバーダが、ザカートです。預言者ムハンマド(かれの上に平安あれ)は、聖ハディースで、


「イスラームは五つの基本の上に成り立たされるものである。アッラーの外に神がいないこと、ムハンマド(かれの上に平安あれ)がアッラーの使徒であることを証言すること、礼拝を行うこと、ザカートを支払うこと、アッラーの家であるカーバに巡礼を行うこと、そしてラマダーン月に斎戒を行うことである。」とおっしゃられておられます。


 アッラーの使徒(かれの上に平安あれ)の、メッカからマディーナへの聖遷の2年後に義務とされたザカートは、宗教上の基準で裕福であるとされたムスリムが、定められた基準によって財産の一部を、イバーダの意思をもって貧者に与えることをいいます。


聖クルアーンにおいて、そしてアッラーの使徒(かれの上に平安あれ)のスンナにおいてしばしばザカートについて触れられているという事実は、このイバーダの重要性を明らかにするものです。雌牛章第43節において偉大なるアッラーは、「礼拝(サラート)の務めを守り、定めの施し(ザカート)をなし、立礼(ルクーウ)に勤しむ人たちと共に立礼しなさい。」と命じられ、この世とあの世での幸福にいたることができたムスリムたちの特質として、かれらがザカートを払った人々であることを明らかにされておられます。


信者たち章第1節から第4節においては、「信者たちは、確かに勝利を勝ちとる。かれらは、礼拝に敬虔であり、虚しい(凡ての)ことを避け、施し(ザカート)のために励み、」とされています。


 ムスリムの皆様。撒き散らすもの章第19節では、「またかれらの財産には、乞う者や、乞うこともできない困窮者たちの権利があると認識していた。」とあります。だから、ザカートを払わない裕福な者は、貧者の権利を侵したことになるのです。この点についてアッラーの使徒(かれの上に平

安あれ)は、「ザカートが支払われていない財産は、審判の日に、毒蛇のようにその持ち主ののどもとに巻きつくであろう」ことを明らかにされています。


 ザカートは集団における社会的な安心であり、傘であり、けちという病の治療であります。ザカートはムスリムたちの、気前よさという感情を発達させ、優れた、効果ある振る舞いへと導くイバーダです。ザカートは、社会における富の分配の不公平さを取り除き、富裕層と貧困層の間に掛け橋を形成し、社会の平安や統一を守るものです。


 ムスリムの皆様。ザカートとサダカは、ムスリムが、アッラーへの愛情を富や財産への愛着以上に高めるということの明らかな指標です。ザカートやサダカを払い、善行を行った者は、アッラーの、次の、神聖な吉報に達することができるでしょう。雌牛章第261節において「アッラーの道のために自分の所有するものを施す者を例えてみれば、ちょうど1粒が7穂をつけ、1穂に百粒を付けるのと同じである。アッラーは御心に適う者に、倍加してくださる。アッラーは厚施にして全知であられる。」とされているのです。


 ムスリムの皆様。神聖なるラマダーン月を好機として、ザカート、フィトル、サダカやその他の善行によって、貧窮者の心を喜ばせ、かれらが必要とするものに対応し、かれらを幸福にしましょう。そして、忘れてはならないことは、私たちの真の財産、その効果や結果を得ることができる財産とは、私たちがアッラーの道のために費やしたものなのです。


 雌牛章第262節と、イムラーン家章第92節によって、このフトバを締めくくりたいと思います。「アッラーの道のために、自分の財産を施し、その後かれらの施した相手に負担侮辱の念を起こさせず、また損なわない者、これらの者に対する報奨は、主の御許にある。彼らには、畏れもなく憂いもないであろう。」「あなたがたは愛するものを(施しに)使わない限り、信仰を全うし得ないであろう。」

 

 

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