東京モスク・金曜礼拝のホトゥバ

 

 

 
FRIDAY KHUTBA OF TOKYO CAMII
 
2003年10月3日
テーマ:イスラームと平和

「時間にかけて(誓う)。本当に人間は、喪失の中にいる。信仰して善行に勤しみ、互いに真理を勧めあい、また忍耐を薦めあう者たちの外は。」
(アル・アスル(時間)章1〜3節)

ムスリムの皆様。
時間章のこの表現から、人間にとってこの世とあの世における幸福が、次の4つの事項によってのみ可能となることが理解されることを願います。

1、 信仰
2、 宗教的実践(しもべであること、価値のある有益な振る舞い)
3、 真実を薦めること
4、 忍耐を薦めること

この点においては説明するまでもありませんが、天からの教えはその基礎において、これらをいしずえとしているのです。私たちが信じるイスラームの教えの神聖な書である聖クルアーンは、以前の民について語っているところで、預言者ムーサーがその民に
 

「罪人として主の御許に来る者には、本当に地獄がある。その中でかれは死もなく生もない。」
(ター・ハー章74節)


と、また預言者イーサーが、まだゆりかごにいる時に、その民に

「また私の母に孝養を尽くさせ、高慢な恵まれない者になされませんでした。」と語ったことを伝えているのです。

ムスリムの皆様。
根本において、人間性とは愛情、平和に基づいているものです。イスラームの教えにおける神のメッセージは、人間の平安と幸福に対するメッセージです。

バカラ(雌牛)章195節においてアッラーは、
「またアッラーの道のために、(あなたがたの授けられたものを)施しなさい。打破、自らの手で自らを破滅に陥れてはならない。また善いことをしなさい。本当にアッラーは、善行を行うものを愛される。」と仰せられておられます。

ムスリムの皆様。
この神聖なメッセージは、人間の平安や幸福が、ただ、愛情、平和、互助精神、そして慈しみの感情に結びついているものであること、そしてこういった感情を実践にうつすことによってのみ可能となること、こういった感情に乏しく、その心でこういったことを感じることができない人々が、人間愛、人間の世の平和を語ることには何の意味もないということを、示しているのです。

アル・ファジュル(暁)章の6節から14節によって、私のフトバを締めくくりたいと思います。
「あなたはアッラーが、如何にアード(の民)を処分されたかを考えないのか。円柱の並び立つイラム(の都)のことを、これに類するものは、その国において造られたことはなかったではないか。また谷間の岩に彫り込んだサムード(の民)や、杭のぬしフィルアウン(のことを考えないのか)。」

現在、聖なる三つの月を過ごしています。この聖なる月々が、人間の世界に平安と平和をもたらすことを、偉大なるアッラーから乞い願っています。

 

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