心を知る・スーフィズム

 

 

 

心を知る・スーフィズム

  心の浄化とは何か

  心の浄化の起源

  ソーフィー及び 心の浄化を実践する人

  タウバ・イナーバ・アウバ

  ムハーサバ(自己批判・自問)

  タファックル(熟考)

  フィラールとイティサム(避難と保護)

  独居と隠遁(ハルワとウズラ)

  状態と階梯(ハールとマカーム)

  カルブ(心・心臓)−1

  カルブ(心・心臓)−2

  フズン(悲しみ)

  ハウフとハシャ(畏怖と崇敬)

  ラジャ(希望・期待)

  ズフド(禁欲主義)

  タクワ(敬虔さ)

  ワラア(自制)

  崇拝、しもべであること、深い信仰

  ムラーカバ(自己監督)

  イフラース(誠実さ、意思の純粋さ)

  イスティカーマ(まっすぐであること)

  信頼、服従、献身、確信

  フルク(良い性質)

  タワドゥ(謙虚さ)

  フトゥッワ(騎士道精神)

  シドゥク(正直さ・誠実さ)

  ハヤー(謙虚さ)

  シュクル(感謝)

  サブル(忍耐)

  リダ(甘受) −1

  リダ(甘受) −2

  カスドゥとアズム(意図と決意)

  イラーダ、ムリード、ムラード(意志、望む者、望まれる者)

  ズィクル(アッラーの御名を唱えること)

  イフサーン(完璧な善行)

  バスィーラとフィラーサ(洞察力と識見)

  サキーナとイトゥミゥナーン(静穏と安らかさ)

  マハッバ(愛)

 

心の浄化はこれまでいろいろな形で定義されてきました。個人のエゴや意志、自己中心というものをなくし、アッラーの真髄という光で個人を霊的な意味で生き返らせてくださることだと見る人がいます。このような変化は個人の意思をアッラーの意思と一致するようにアッラーが導いてくださるということです。また、個人の悪い点を浄化し美徳を得るための絶え間ない努力だと見る人もいます。

 

また、心の浄化は物事や出来事の「外側」や表面上の見た目の裏側を見ることであり、世界で起こるすべてのことをアッラーとの関係の中で解釈することだと説明する人々もいます。これは人がアッラーの行為の1つ1つをアッラーを「見る」窓だと捉え、物理的には説明できないような深く霊的に「見る」ことや常にアッラーによって監視されているのだと深く認識することによって、アッラーを「見る」ための絶え間ない努力として人生を生きるということです。

 

すべての宗教的義務に関する厳格な遵守と簡素な生活様式、現世的な欲望の放棄が心の浄化では求められています。霊的な自己規律を通して、人の心は浄化され、感覚や能力はアッラーの道に使われるようになります。つまりそれは、この道を進む人が霊的なレベルにおいて生き始めるということなのです。


心の浄化では、アッラーを崇拝し続けることによって、自分自身はアッラーに帰依する存在であるという意識を深めることができるようになります。この束の間の物質世界を、それがもたらす欲望や感情と同様に放棄することで、アッラーの美名に向けられたもう1つの世界という現実を意識することができるのです。個人の存在の道徳的側面を伸ばし、以前は表面的に受け入れていた信条について強く心からまた個人的経験に基づいて確信を得ることができるようにもなります。

 

  

 

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