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■ 宗教の重要性について
◆宗教とは
◆宗教の重要性
◆宗教の分類
◆イスラーム教の特徴
◆イスラーム教は普遍的な教えであること
◆イスラームの教えの基本
◆宗教的規範の根拠
◆啓典
◆スンナ
(預言者ムハンマドの発言や行動)
◆イジュマーゥ (見解の一致)
◆クィヤース (類推)
宗教とは?
宗教とは、言葉として、ならわし、法則、処置、崇拝などの意味をもっている。
イスラーム学者は宗教を次のように定義した。
「宗教とは、理性を持つ人々を、自身の自由な意志によって最良へ、最善へ、最高へと到らせる神聖な規範である。」
この表現から、以下の点が読み取れる。
1. この教えを創られたのはアッラーであられる。人間に、宗教を創造する権限はないのである。
2. 宗教は、理性ある者を対象としているものである。そうでない場合は宗教的義務が課せられない。
3.
宗教に関わる規範は、アッラーが預言者たちに神意によってもたらされる。預言者たちもその規範を、つまりアッラーのご命令と禁止事項を人々に伝える。
4.
宗教の目的は、現世においても来世においても人々を幸福にすることである。宗教は、人がなぜ創造されたのか、どのような義務を負っているのかを解き明かす。
5.
人が最良、最善の状態に達する為には、教えを、いかなる抑圧をもうけることなく自らの白由な意志で認める必要がある。なぜなら、教えには強制というものはあり得ないからである。聖クルアーンにおいて、「宗教には強制があってはならない。」と語られている。「第2章・雌牛章256節」
宗教の重要性
人問、そして人問社会は宗教を必要とする。なぜなら宗教は、人間の幸福を目標と掲げるものであるからである。教えが命じること、奨励することは人が人間らしく生き、家族や社会、民族、さらには全ての人問に対して有益な存在となる為のものである。
宗教は、社会を向上させ、その発展を支える基盤を含む、一つの規範である。
宗教は同時に、道徳的機構として人に方向を指し示す規律である。
宗教的な感情の衰退は、道徳及び法令に反する犯罪が増える原因になる。
要するに、どの観点から見ても宗教は人問にとって必要なものである。信仰の欠如は悲しむべきことである。信仰を失った人は、この物質世界からかかってくる様々な脅威に対し精神不安定になってしまう二終わりのない命を、あの世での生を信じないが為に、ひたすらこの世での一時的な享楽を追い求め、そういったものを手にする為になりふり構わない状態になるのである。いつかこの世のこうした快楽から別離を遂げ、無に帰してしまうことを考えるにつれ、不安が高まり、心の安らぎも得られなくなるのであろう。
これは人にとって何よりも大きな災いである。しかし余教は、死の先に更に幸福で永遠の生があることを吉報としてもたらしている。そして、そこに到達する為の道を示し、人に安寧と安心感を与えているのである。
宗教の分類
先にも述べたように、宗教を創られたのはアッラーであられる。その為、アッラー'から預言者に啓示され、預言者によって人々にも伝えられた教えは、啓示されたままの形を保っている場合「真実の宗教」となる。
アッラーによって啓示され、しかし本来の形を保つことのできなかった教えは「変質させられた宗教」と言われる。現在のキリスト教及びユダヤ教はその例である。これらはアッラーによって啓示されたものの時の経過と共にあり方が変えられてしまった教えである。
今日、この世界で真実の宗教であるものは、イスラームのみである。それはアッラーによって、最後の預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)に啓示され、原型のままで私たちにも伝えられ、本来の姿を変えずにきた、教えなのである。
イスラームは、最初の人問であり最初の預言者であるアーデム(彼の上に平安あれ)が伝えた「タウヒード(神の唯一性)を説く教え」と、その他の、啓示による教えの継承であり、これらのうち最後に下され、最も完成されたものである。聖クルアーンで言及されている信仰の基本は、最初の預言者が伝えた信仰基本と同じものである。聖クルアーン以前に下された聖典でも、(原型が変更される前は)これらの信仰基本が記されていたのである。
イスラーム教の特徴
イスラーム教の主な特徴は以下の通りである。
イスラームは最後の教えであること
預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)が最後の預言者であり、彼がもたらしたイスラームは、アッラーによって啓示された最後の宗教である。アーデム(彼の上に平安あれ)を初めとし、アッラーの唯一性を説く「タウヒードの教え」は、発展を重ね、イスラームにおいて完熟し、完成した。もはや、その後新しい教えが啓示されることはないのである。
どのような場合でも、最後のものはそれ以前のものと比べると不足や欠点がないものである。イスラームもそれと同様で、それ以前に下された教えと比べて完成されたものとなっている。
だからアッラーは、最後の教えであるイスラームの規範について人々に責任を負わせ、人々がこれを受け入れることによって悦ばれるのだということを伝えたのである。事実、聖クルアーンでは次のように語られる。
「本当にアッラーの御許の教えは、イスラーム(主の意志に服従、帰依すること)である。」 「第3章・イムラーン家章19節」
「イスラーム以外の教えを追及する者は、決して受け入れられない。また来世においては、これらの者は失敗者の類である。」 「第3章・イムラーン家章85節」
「今日われはあなたがたのために、あなたがたの宗教を完成し、またあなたがたに対するわれの恩恵を全うし、あなたがたのための教えとしてイスラームを選んだのである。」 「5章・食卓章3節」
イスラーム教は普遍的な教えであること
イスラームは、最後の教えであると同時に、全ての人々の為の宗教でもある。なぜなら預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)は、一部族、一民族の為ではなく、全人類のために遣わされた預言者であるからである。
事実、聖クルアーンでは次のように記される。
「言ってやるがいい。『人々よ、わたしはアッラーの使徒として、あなたがた凡てに遣わされた者である。』 「第7章・高壁章158節」
「われは、全人類への吉報の伝違者または警告者として、あなたを遣わした。だが多くの人々は、それが分からない。」 「第34章・サバア章28節」
イスラームの規範は最後の審判の日まで有効である。イスラームは最後の教えである為、それがもたらす規律を廃止または改正するような新たな教えはもたらされないのである。
イスラームの教えの基本
イスラームには、変わることのない基本がある。これらは、信仰(イーマーン)、行い(アマル)及び道徳(アフラーグ)に関する基本として三つに分けることができる。
1) 信仰に関するもの
信仰とは、何かを心から信じること、結びつけられることという意味である。心における信じる気持ちを「アキーダ(信仰)」と言う。その複数形が「アカーイド」となる。
2) 行いに関するもの
行いに関するイスラームの基本は、命令と禁止事項である。私たちは、これらを行うこと、または行わないことの責任を負っているのだ。
これらの中で、アッラーとそのしもべ達の間の関係に関わるものが、崇拝行為(信仰儀礼)である。
行いに関わる基本の一部は、人と、他の人々との関わりを整える規範である。これらの基盤になるものが正義である。
3) 道徳に関するもの
道徳的規範は、美徳を得ること、精神があらゆる悪意や悪い感情から浄化されること、精神の向上を意図とする諾規範である。
宗教的規範の根拠
ここでまとめた宗教的規範がよりどころとする根拠は啓典、スンナ(預言者の発言、行動など)、イジュマーウ(法学者達の見解の一致)、クイヤース(比較による類推)の四つである。全ての規範はこの四つを根源とするものである。
啓典
啓典とは、聖クルアーンのことである。
聖クルアーンは、アッラーから、ジェブラーイール(大天使ガブリエル)(彼の上に平安あれ)を通して、アラビア語表現と意味を以て預言者ムハンマドに下され、確かな経路で私たちに伝えられ、書物として記されたことばである。
聖クルアーンはイスラームの基本の第一の根源である。
聖クルアーンは、教えの全ての要素を包括するものである。そこには、他の啓典の要旨も含まれている。
スンナ
スンナは、聖クルアーンを除く、預言者ムハンマドの発言や行動という意味である。
スンナは、言葉、行動、タクリールの三つからなる。言葉によるスンナ預言者ムハンマドの全ての発言である。「全ての善行はサダカである。」というハディースがその例である。
行動によるスンナ預言者ムハンマドのなされたこと、振る舞い、ということである。「預言者(彼の上に平安あれ)は、礼拝の為にタクビール(アッラーフ・アクバルと唱えること)をされる時、その手を耳の位揖まで上げられた。」というハディースがその例である。
タクリールによるスンナ他の者がその行為をしているのを預言者ムハンマドが見た時、あるいは他の者がそれを語るのを聞いた時、注意などをされず、適法と見られたことを意味する。
その一例は、アナス・ビン・マーリクの次の伝承である。
「我々は太陽が沈んでから、夜の礼拝の前に2ラカアのナーフィラの礼拝(任意の礼拝)をした。預言者ムハンマドは我々を見ておられたが何も命じられず、何も禁じられなかった。」
スンナは、イスラームの規範の二つめの根源である。スンナには二つの重要な役割がある。一つは聖クルアーンを解き明かすこと、もう一つは、聖クルアーンでは言及されていない規範を定めることだ。
スンナが、イスラームの規範の二つめの根源であることにはイジュマーウが成立している。四大止当カリフの時代から、今日に至るまで、この見方に対する異なった解釈は出されていない。
預言者ムハンマドにお会いする幸運を手にしていた教友たちから私たちのこの時代に到るまで、全てのイスラーム学者達がスンナに対して敬意を示し続けてきたのである。なぜなら、スンナに従うことは聖クルアーンの命令でもある。聖クルアーンにおいて次のように語られている。
「使徒に従う者は、まさにアッラーに従う者である。」 「第4章・婦人章80節」
「使徒があなたがたに与える物はこれを受け、あなたがたに禁じるものは避けなさい。」 「第59章・集合'章7節」
スンナを無視した状態で聖クルアーンを完全に理解することは不可能である。なぜなら教えの規範の全てがクルアーンでは触れられていないし、多くの規範の詳細、実践方法などはクルアーンでは述べられていない。
例えば、礼拝が義務であることを聖クルアーンは教える。しかし、礼拝とはどのようにされるものか、何ラカアすればいいのかという記述はクルアーンにはない。このような詳細については、スンナから、預言者ムハンマドが行われた方法から、知ることができるのである。
イジュマーゥ (見解の一致)
イジュマーウとは、多数の人をもって「ある事を決意する」 「ある点で意見が一致する」という意味である。
宗教用語としての意味は、一定以上の学位を有する導師が預言者ムハンマドの死以降、ある事に関してある宗教的な規範が適切であるという見解で一致することである。
クィヤース (類推)
クイヤースとは、啓典やスンナや見解の一致において結論が出されていない問題について、これらの論拠のうちどれかで言及されている規範を元に結論を下すことである。
非常に簡単にまとめたが、以上が教えに関わる規範と、それらの論拠である。
イスラームにおける信仰の基本、東京ジャーミイ・トルコ文化センター出版 より


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