預言者ムハンマドを語る

 

 皆そのお方を待っていた

 
ザイド・ビン・アムル


預言者ムハンマドを待っていたのは、一人や二人ではなかった。ザイド・ビン・アムルもその一人だった。彼は教友(サハーバ)の一人、サイド・ビン・ザイドの父であり、ウマルのおじでもあった。この人は、偶像から顔をそむけ、何の効果も害もないことを主張し、預言者の登場にわずかに間に合わず世を去った。彼は「私は知っている、その人の登場は近い。その影はもう我々に届こうとしている。ただし、私がその日まで生きていられるかどうかはわからない」と言っていた。彼は唯一のアッラーの存在を信じていたが、どのように礼拝行為をすればいいのか知ることはできなかった。アミル・ビン・レビアは、このように伝えている。


「ザイド・ビン・アムルから聞いたことである。ある日こんなことを言っていた。


『私はイスマーイールの、そしてアブドゥルムッタリブの血統から現れるであろう預言者を待っている。その日まで生きることができるとは思わないが、信仰し、確かに認めている。彼は真の預言者である。もしあなたの寿命が彼に間に合えば、私からよろしく伝えてほしい。それから、君に伝えておこう。驚いてはいけない。』と言った。私が『どうぞ、説明を』というと、彼は続けた。


『背は中くらいである。高くもないし低くもない。髪は、完全にまっすぐではないし、縮れてもいない。アハマドという名であろう。生まれるのはマッカである。預言者となるのもここである。ただしその後、彼のもたらされるものを気に入らない者たちが、彼をマッカから追い出すだろう。彼はマディーナに移る。そしてその教えをそこで広めるだろう。私はあちらこちらを訪ね歩き研究し、イブラーヒームの教えを探した。私が話をしたキリスト教徒もユダヤ教徒も皆、あなたが探している人は後ほど現れるだろうといっていた。皆最後にこういって締めくくった。彼は最後の預言者であり、彼の後には預言者は現れないだろう。』


アミル・ビン・レビアは続ける。


「それから月日はたって私はムスリムになった。アッラーの預言者に、ザイドが言っていたことを伝えた。彼からの挨拶を伝えると預言者は姿勢を正してそれを受けられた。そして言われた。『私はザイドが天国で歩いているのを見た。』」


ワラカ・ヌーファル


ワラカ・ビン・ネブフェルはキリスト教徒の学者だった。預言者の妻ハディージャの親戚でもあった。預言者に最初の啓示が下り始めたころ、ハディージャは何が起こっているのか知るために彼のもとにきたことがあった。そしてワラカからこの返事を得た。


「ハディージャよ。彼はいつも正しいことを言う人だ。彼が見たものは、預言者がその初めに経験しなければならないことなのだ。聖ムーサーや聖イーサーにも同じものが訪れた。近いうちに、彼は預言者となるであろう。私もその日まで生きられれば、必ず彼を信じて、その教えの信者になろう。」


アブドゥラー・ビン・サラーム


アブドゥラー・ビン・サラームはユダヤの学者だった。イスラームの入信について、彼自身の言葉から引用したい。「預言者がマディーナに移住した時、皆と同じように私も見に行った。その周囲にたくさんの人がいた。その中に入り込んだとき、彼の言葉が聞こえた。「あなた方にところにやって来た人たちに、あいさつをし、食事を与えなさい。」その言葉の不思議な力と深い意味に私は衝撃を受けた。その場で入信しムスリムになった。なぜなら、彼に、預言者にしか見られない顔を見たからである。 」アブドゥラー・ビン・サラームは重要な人であった。彼が聖ユースフの子孫だった 。彼については、聖クルアーンでも触れられている。


「言ってやるがいい「あなた方は考えてみたのか。もし、(聖クルアーンが)アッラーの御許からであり、それをあなた方は拒否し、しかも、イスラエルの子孫の一人がそれ(ムーサーの律法)と同じものであると立証し、それで彼自身聖クルアーンを信じたのに、あなた方は(なお)信じなかったとすれば。(あなた方は不義の徒になるのではないのか)」(砂丘章46/10)


この章でふれられているイスラエルの子孫の一人というのが(一部の学者が聖ムーサーだと言うが)アブドゥラー・ビン・サラームであると大部分の学者が言う。


サルマーン・ファーリシィ


サルマーン・ファーリシィも、証人の一人である。彼は以前拝火教徒であった。しかし、真実の教えを求めていた。その後キリスト教に出会った。教会に通いだした。慕っていた司祭の死に際には、彼に今後どの誰にしたがえばいいのかをたずね、その勧めに従って、勧められた人に従った。このようにして、多くの人のそばで学んだ。ある時、最期のときを迎えた一人の司祭に同じことをたずね、彼からこのような答えを得た。


「わが子よ、もはや君に推薦できるものは誰も残っていない。ただ、最後の預言者の到来の時が近づいている。彼はイブラーヒームの教えにあるとおりに現れるだろう。彼が移住した、マッカから現れるだろう。その後、他の地に一度移り、そこに住むだろう。これは確かなことだ。行くことができるなら、そこへ行くといい。彼はサダカを受け取らない。贈り物は認める。二つの肩の間に、預言者であることの印がある。」


これ以降は彼自身の言葉から引用しよう。


「私の司祭が教えた地へ行く為に、私はキャラバンを探した。キャラバンと交渉し、お金を払ってそこへ連れて行ってもらうことになった。しかし、アル・クラーの谷で、彼らは私に暴行を加えた上、奴隷としてユダヤ人に売り渡した。その後、他のユダヤ人がきて、私を買った。そしてマディーナへ連れて行った。私はそこでナツメヤシの農場で働き始めた。預言者について何の情報も得られなかった。そんなある日、私は木に登ってナツメヤシを採っていた。私の持ち主であるユダヤ人も木の下で座っていた。そこへ、彼のいとこであるユダヤ人がやって来た。いまいましい様子で、


『なんてことだ。みなキュバへ向かっている。マッカからきた男が、自分を預言者だと宣言したらしい。皆、真に受けているらしい!』といった。私は緊張の余り震え出した。もう少しで、木の上から持ち主の上に落ちるところだった。急いで木から下りて、


『何と言いましたか?何と言いましたか?どういうことですか?』とたずねた。持ち主は私が取り乱しているのに怒り、私を強く殴り、『お前に何の関係がある。自分の仕事をしていろ』といった。


『興味があっただけです』と私は言って、再び木に登った。


その夜、私は全ての荷物をまとめてキュバへ発った。預言者は、教友たちとともに座っておられた。


『あなた方は貧しい方のようにお見受けします。私はちょうどサダカをする相手を探していたのです。これをあなた方に差し上げます。どうぞ食べてください』と私は言った。預言者は、そばにいる者たちに、『あなた方がお食べなさい』と言われ、決してそれに手を触れようともされなかった。心の中で、私は、『司祭が言っておられた、一つ目の印だ』と考えていた。翌日またそこに行って、『これはサダカではなくて、贈り物です。どうぞ召し上がってください』と言った。預言者は、友人たちに勧めたうえでご自分も召し上がった。『二つ目の印もあっていた』と思った。


友人の一人が亡くなり、その葬儀に預言者が来られ、私は挨拶をした後その背後をとおり、肩の間にあるはずの印を見ようとした。そしてついにはそれを見ることができた。三つ目の印も、何年も前に司祭が述べていたとおりであった。私は自分を抑えられず、預言者ムハンマドに抱きつき、その印にキスをした。預言者は『どうしましたか?』と言われた。その前に座って、それまでに起こったことを説明した。預言者は大変喜ばれ、他の友人たちにも、その話をするように言われた。」


そう、意地や悪意から逃れて、そのお方を見る者は、このお方を見つけ、その姿に打たれる。過去においても、現在においてもそのことには変わりはない。意地やこだわりを捨てられない者たちが、彼が預言者だと知っていながらそれを認められずにいるという点においても、過去と現在の間に変化はないのである。

 

 

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