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慈悲あまねく慈愛深き御方アッラーは人間を創られ、理性と洞察力を与えられました。それゆえ人間は、アッラーが創られた他の被造物について考え、研究し、善悪、美醜を区別し、どちらかを自由に選べる能力を備えています。人間はこの能力のために他の被造物より高貴なのです。アッラーは人間に、成人のあかつきには神が存在し、唯―であること、そして復活の日(審判の日)などへの信仰を求められています。アッラーは人間に信仰を求められますが、それを強制されたわけではありません。アッラーは人間に、被造物を観察し思索を重ねた上で、アッラーの存在と唯―性を理解し、信仰するか否かを自由に決めることを望んでおられます。
研究と考察の上で、アッラーが確―無比であること、天使,啓典:、聖なる預言者たち、復活の日の存在、そして善悪全てがアッラーの御意志なくしては存在しえないことを認めたら、その人はムスリム(イスラーム教徒)なのです。信仰者は、アッラーの命令への服従によって現世と来世の幸福を手にし、選ばれた者となるのです。ムスリムとなった人は、個人と社会の幸福のためのルール集であるイスラームの教えに合わせて、生活を改めることになります。
アッラーがお喜びになるように、と考えて行う実践のすべてはイバーダ(崇拝)と呼ばれます。つまり、良い行動がイバーダとなるには、それを行った人が信仰をもたなければならないのです。アッラーは正義をもってすべてのものを扱われます。だから、良いことを行い、悪いことを避ける者は誰でも報われるのです。アッラーは、人間の行うどんなに小さな善行をも身逃さず、それを行った人に報われる、と約束されました。もちろん、信仰する人と、信仰しない人には差があります。信仰しない者は善行の報いを現世において得るのに対して、信仰者は現世においても来世においても報いを得ることになるのです。
信仰者は、現世だけではなく来世も視野に入れて、長期的で包括的な人生設計を行います。まだ人間は、来世の信仰によって現世の利益を追求するときにも、来世における賞罰のことを思い浮かべて、利己的行動を自制することができます。ムスリムは、来世の報奨を現世利益に優先させ、その思索と行動の地平は肉体的・物質的存在を超越し、その先へと至ります。それゆえ人類の捜し求めている模節となる人間像こそが真のムスリムなのです。
イスラームは特定の歴史、民族、地域に限定された宗教ではありません。イスラームのメッセージはすべての時代、すべての民族、すべての地域に通じます。イスラーム教徒になりたい人は、「万物の創造主であるアッラーは唯―の神であり、地に神は存在せず、ムハンマドはアッラーの使徒、預言者である」、と他人に強制されたのでなく自由意志で心から信じれば、イスラーム教徒になるのです。自分がイスラーム教に入信しとと社会的にも認知されたい場合には、心での信仰にも加えて、以下の二つの句を立会人の前で、口で表現することが求められます。「アッラー以外に神はないことを私は証言する。」
「ムハンマドはアッラーの使徒、預言者であることを私は証言する。」
これがシャハーダ(信仰告白句)です。「アッラー以外に神はない、ムハンメドはアッラーの預言者である。」これが唯―神教イスラームの神髄「タウヒード」なのです。
イスラームの5つの柱
◆神の唯―性への信仰 (タウヒード)
◆イスラームにおける崇拝及びサラート
(イバーダ)
◆斎戒または断食 (スィヤーム)
◆喜捨 (ザカー)
◆巡礼 (ハッジュ)
 
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