イスラーム概説

 

 学生のときでした

 
私がシャハーダをしたのは約1年前です。当時私はアメリカに留学をしていました。留学の期間は1年間だったのですが、日本へ帰る約3ヶ月前にシャハーダをしました。ムスリムになったきっかけをたくさんの人に聞かれましたが、私は今でも言葉に詰まってしまいます。毎回なぜムスリムになったのかを聞かれると私はできるだけ私の心情をわかりやすく説明しようと思いますが、1度たりとも自分の思う通りに伝えられたと感じたことはありません。ただ、今私が言えることはもともと私の中にあったもの、人間として人間の中にあったものがイスラームを知ることではっきりとしたということです。イスラーム教の人ではない人に私がムスリムになった理由を説明しようとしても、相手にとって理解することは難しいでしょう。しかし、相手がムスリムであれば説明するのは簡単です。というのは説明する必要がないからです。同じムスリムなら、アラハムドレアッラーと私が言うだけで、相手は100%理解するでしょう。私はいつも宗教について何か説明することはとても難しいと考えています。なぜなら、言葉よりも、心、感情がより強くて、言葉にならない時がしばしばあるからです。例えば私がこんなに伝えたいことがあっても限られた言葉ではなかなか伝わりません。
 
私がここでこうしてこの文章を書いているということは留学する前、またはシャハーダをする以前の私にはとても想像がつきませんでした。もちろん私は、日本で生まれて、生まれると同時に仏教徒でしたが、殆どの日本人がそうであるように、宗教的な自覚は無く、日本文化としての認識の方が強かったのは確かです。実際にムスリムになってみて、もちろん、モノの見方は変わりました。より冷静になり、何が善(よい事)で何が悪(悪いこと)であるか、迷いも無く、ごまかすこと無く、見えてきました。これはあたりまえのことですが、イスラームを勉強していくとわかるように、人間の奥深いところ、普段人間(私達)が見えないところ、また、見ないようにしているところまでを指摘してイスラームは教えています。それから私は、この世に存在する全てが、偶然に出来上がったものとは考えていませんでしたし、ムスリムになった今でも勿論それは変わらず、むしろそれがはっきりしました。多くの人間はこういったことを考える機会が少なく、ただ与えられた命でこの世の中で過ごしているだけですが、私達ムスリムは‘人間とはどういうことか’学ぶ機会が十分与えられています。
 
私がシャハーダをしてから日本に帰るまで、毎日といっていいほど泣いていました。私がムスリムでなかったら、この泣いている自分を見てどう思ったでしょうか?私はきっとこの泣いている私を見て怖いとさえ思ったでしょう。私はシャハーダをしてから日本に帰るまでずっと自分自身が小さく引き裂かれたような、何か間違った事をしたような、それはもう複雑な感情でいっぱいになり、泣いたらいいのか、笑ったらいいのか、喜んだらいいのか、本当に複雑な気持ちでした。だけれど、私は日本に帰ることが決まっていたし、時間は止まってはいません。この複雑な感情のまま日本へ帰国しました。私がイスラームの勉強を自ら創めたのは帰国してからでした。勉強をしていくに連れて感情も安定しました。

 

今では薬を飲んで風邪が治った時のようにすっきりとした気分です。日本へ帰国して、たくさんのムスリムに逢いましたが、やはり様々な人がいます。私は初め、ムスリムと聞いただけで何か完璧に近いような印象を受けていましたが、自分もそうであるように人間は所詮人間、完璧な人は存在しません。但し、ムスリムは何が善で何が悪か分かっているし、それに道徳的に善い人間になるように努力しています。私が強く思うことに、‘自分で学ばないといけない’ということがあります。人に与えられたのでは限りがあるし、必ずしも正しいとは限りません。自分でコーランを開いて勉強をする事がどれだけ重要か、どれだけ自分の為になるか改めて実感しています。

最後に、イスラーム国ではない国に住むことに対して難しいと感じるまたは違和感を覚える時があります。それからその違和感に対して苛立ちさえ感じることがあります。そういう時は、私の心に余裕の無い時や、イスラームの勉強を怠っている時が殆どです。自分の生活が忙しいことを理由にイスラームの勉強をする時間がないということがどんなに矛盾しているのか今大変実感しています。

 

 

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