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信仰の六つの基本の一つに、来世を信じることがある。
全ての生き物に終わりがあるように、この世界にも終末が訪れ、消失する。終わることのない永遠の存在はアッラーのみである。
この世界の終末が訪れると、アッラーは天使イスラーフィールに命じられ、彼は「スール」(ラッパ)を吹き鳴らす。その音と共に地上は激動し、全ての生物は死に絶えるのである。ただ、アッラーが望まれた存在のみが生き残る。それらはもっと後に死ぬのである。
クルアーンでは次のように記されている。
「スール(ラッパ)が吹かれると、天にあるものまた地にあるものも、アッラーが御望みになられる者の外は気絶しよう。」39章68節
これがイスラーフィール(彼の上に平安あれ)の最初のラッパである。このラッパの音と共に世界は滅亡する。
それが起こる時期はアッラー以外に誰も知らない。預言者ムハンマドも、その件については知らないと述べられていた。
一つだけ知られていることは、ある日天と地の均衡が崩れ、太陽が消え、星が散り去り、海が沸き立ってお互いに交じり合い、山がぶつかりあって砕け、全てがめちゃくちゃになってこの世界が終わるということである。このことに疑いの余地はない。このことはクルアーンで示され、預言者ムハンマドも告げられておられるのである。
死後の復活
この世の終末の後には全てが無に帰する。アッラー以外、生物は何ものこらない。世界はこのように、一定期間何もない状態で時を過ごす。その後アッラーは、イスラーフイール(彼の上に平安あれ)に命じられ、二度目のスール(ラッパ)を吹かせられる。そうすると全ての被造物は甦り、墓場から出てきて、集まる。これを死後の復活と呼ぶ。クルアーンでは、
「次にラッパか吹かれると、見よ、かれらは起き上がって見回す。」39章68節
と記されている。
この復活によって始まる、永遠の時を、復活の日という。審判や質疑応答、天国への橋、そして天国や地獄といったものがこの後に起こるのである。
死後の復活に疑いの余地はない。我々を無から創造されたアッラーは、死後復活させられるのに十分な力を持っておられるのだ。死後復活させることは、無から創り出すことよりも容易である。クルアーンでは次のように記されている。
「かれこそは先ず創造を始め、それからそれを繰り返されるお方。それはかれにとってとて壱た易いことである。」30章27節
そもそも、容易さ、困難さというものは私たちにとってのものだ。アッラーにとっては問題ではない。アッラーにとって「あれ」と命じるだけで十分なことで、それはすぐに実現されるのである。
この件には疑念の余地がなく、人がいかにして無から創造されたか追及することで十分であるということが、クルアーンで記されている。
「人間は考えないのか。われは一精滴から彼を創ったではないか。それなのに見よ、彼は公然と歯向かっている。またかれはわれに準えるものを引合いに出して、自分の創造を忘れ、言う。「誰が、朽ち果てた骨を生き返らせましょうか。」言ってやるがいい。「最初に御創りになった方が、かれらを生き返らせる。かれは凡
ての被造物を知り尽くしておられる。」36章77-79節
復活の日は、報奨と懲罰の日でもある。アッラーを信じ、そのご命令に従い、禁じられたものを避けた人々はその日、アッラーによって報奨を与えられる。人がこの世で行った、些少な善行でも放っておかれることはない。同様に些少な悪でも、見逃されることはない。
クルアーンでは次のように記されている。
「一微塵の重さでも、善を行った者はそれを見る。一微塵の重さでも、悪を行った者はそれを見る。」99章7-8節
マフシェル:死後復活した人々が集まるところ、という意味である。クルアーンの復活に関する部分で、次のように記されている。
「それは人が一斉に召集される日であり、立証されるべき日であ
る。」11章103節
ここでは人々に生前の記録書冊が渡され、行動記録が問われ、この世での行いについて裁かれるのである。
 
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