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■ 信仰生活の喜び
◆ゆとり
◆悪をはらう
◆愛するということ
◆学ぶ目的
◆母の愛
◆一つとして自分のものはない
◆受け入れる
◆思いやり
◆はじめてのラマダーンの思い出
◆祈りに支えられて
◆アッラーとの約束
◆神秘を感じる
◆ズィクル(唱念)
◆口内炎
◆心を開く
(導きの過程)
◆足るを知る
◆アッラーの創造
◆神への愛
◆宗教へのニーズ
◆痛みのない愛
人の一生は水戸黄門の歌の 「人生楽ありゃ苦もあるさー」 のように、山あり谷あり、順調なときもあれば逆境のときもあります。
人生、「楽」しかなければ感謝の気持ちも薄れ、人の痛みにも鈍感になって思いやりの心が育たなくなるかもしれません。「苦」があるからこそ、ちょっとしたことにも感謝の気持ちがあふれ、人の痛みにも敏感になり、信仰も深まり、人間としてより豊かに成長するのかもしれません。
アッラーはたびたび私たちに試練を与えます。
しかし、アッラーは私たちが耐え切れないほどの試練はお与えになりません。
「アッラーは誰にもその能力以上のものを負わせられない。」(クルアーン2章(雌牛章)286節)
できれば私たちは試練を与えないでください、と祈りたくなりますが、その試練を通してアッラーは私たちに何かを与えようとしているようにも思えます。そのときは気づかないことのほうが多いですが・・・。
そんなときは美空ひばりの歌のように 「ああ 川の流れのように おだやかに この身を (アッラーに)まかせていたいー」 という気持ちになれば少しは心が軽くなるのではないでしょうか。苦しいとき、先が見えずにどうしたらよいかもがいて心身ともに疲れきってしまったとき、そんなときは、しばし我(我を悩ますもの)を忘れ、慈悲あまねく慈愛深きアッラーの懐に抱かれましょう。そのうちきっと心が平安で満たされ、新たに生きる力が湧いてくるでしょう。
私たちがアッラーを求めれば求めるほど、アッラーは私たちの近くにいてくださいます。
「本当にわれは人間を創った。そしてその魂が囁くことも知っている。われは(人間の)頚動脈よりも人間に近いのである。」(クルアーン50章(カーフ章)16節)
信仰あるものにとっては試練のときこそ、「アッラーが共にいて下さる」ことをより深く確信することでしょう。
「本当に困難と共に、安楽はあり、本当に困難と共に、安楽はある。」(クルアーン94章(胸を広げる章)5−6節)
アッラーは私たちを正しき道に導いてくださいます。
アッラーの御慈悲と御助力により私たちに試練を乗り越えるための力と信仰が与えられますように。
自分がかつて苦しい状況にあったとき、心なぐさめられたハディースを紹介します。
「アッラーは次のように宣言された。
“私のしもべが、私に思いを馳せれば馳せるほど、私は、しもべの近くにいるであろう。
しもべが私の名を唱えるほど、私は彼と共にいるであろう。
もしも、しもべが私を想念すれば、私も心で彼を想うであろう。
もしも、しもべが私を集会の場で想念すれば、私もまた、集会の場で彼をもっとよく想い出すであろう。
もしも、しもべが手の長さほどでも私に近づくならば、私は腕の長さほど彼に近づくであろう。
もしも彼が腕の長さほど私に近づくならば、私は両手をのばした長さほど彼に近づくであろう。
もしも、しもべが私にむかって歩いてくるならば、私は彼の方に走ってゆくであろう”」
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