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あるムスリマの呼びかけで、毎週木曜日の晩8:30から15分間、ズィクルをしている。
「ラー イラーハ イッラッラー」を繰り返し唱えていると、あのときの不思議な感覚がよみがえってくる。それは約1年前の出来事だった。
ある先生の話を聞いているうちに、涙がとめどなくあふれてきてどうしようもなかった。アスタグフィルッラー、アッラーに対する己の不遜さを恥じ入り、“穴があったら入りたい”というより“消えてなくなりたい”と思った。己の存在がどんどん小さく感じ、砂粒よりもちっぽけな存在だと感じた。それと共に、「アッラーの偉大さ」がどんどん膨らんで迫ってきて、押しつぶされそうになり、のみこまれてしまった。
そして溢れる涙と共に私の心が洗い流されていく感じで、包み込まれているような何ともいえない静寂で穏やかな安らぎに満たされた。
その後、屋外に出て自然の中で礼拝をし、ズィクルをした。外の空気は新鮮で澄んでいて、おいしく感じた。涙で濡れた目には外の自然は(木々も草花も大地も山も湖も空も・・・すべてが)まぶしく美しく見えた。凛としてすがすがしいその姿はクルアーンの節のごとくアッラーを讃美しているようだった。水辺を這うイモリも餌を運ぶ蟻もしかり。空飛ぶ鳥の鳴き声も清んで美しい音色で讃美しているようだった。急に「アッラーの偉大さ」を感じ、全ての恩恵を与えてくれているアッラーに感謝の念がわきおこってきて、アッラーを讃えたくなった。
大地に平伏してアッラーを讃美し、自然と一体となって礼拝する。そのままずっとサジダしていたい衝動にかられる。
そしてズィクルした。なぜかわからぬが、「ラー イラーハ イッラッラー」を唱えているうちに、また涙が溢れでてくる。誠に“存在するのはアッラーのみ”。アッラーに抱かれているような、包み込まれているような安堵感があった。
“アッラーは全て、全てはアッラー、あるのはアッラーのみ、アッラー以外何ものもなし”と感じた。
「ラー イラーハ イッラッラー」を唱えていると、そのときのことがよみがえってくる。繰り返し唱えているうちにだんだん気持ちが静かになり落ち着いていく。アッラーに仕え、帰依することこそが人間の本来の姿であり、ズィクルをしているとそれを想起し“アッラーに帰る”思いがする。“アッラーを唱念することにより、心の安らぎが得られないはずがない”というクルアーンの言葉は本当だった。
また同じ時間にともにズィクルしている人たちを想うと、“一致”を感じる。
娘2人もやりたいというので、いっしょにズィクルをしているが、娘達の感想は“落ち着いた、気持ちよかった、楽しかった”と言う。毎週その時間を楽しみにしている。こうして娘達ともズィクルの時間を共有するのもうれしい。今後もこの時間を大切にしていきたい。
 
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