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私にとってはじめてのラマダーンはサウジアラビアで迎えた。今回は“ラマダーン特集”ということなので、そのときの思い出を書いてみる。
周りのムスリムたちがラマダーンを楽しそうに心待ちにしている様子とは逆に、ラマダーンが始まる数日前から、私は注射の順番を待っている子供のような妙な緊張感と「1ヶ月も断食に耐えられるだろうか」という不安を感じていた。
いよいよラマダーン初日がスタート。ついつい食べ物に手がのびる。そのたびに「あ、断食中だ」ととどまる。1日目はきつかった。とくにお昼過ぎの2時ごろになると、無性にお腹がすいた。1日がものすごく長く感じ、マグリブまで時計の針とにらめっこだった。友人宅で日没後、最初に頂いたドライフルーツを水に浸した食べ物が日本のみつ豆のような味がして、とてもおいしかったのを覚えている。1日目を終わって、「きついなー。これを1ヶ月間続けるなんて、ムスリムはすごいなー、尊敬に値する」と思った。
はじめの数日間は空腹感でマグリブが待ち遠しくてたまらなかった。食事のありがたさを感じ、アルハムドリッラー、断食を解いた後の一杯の水がとてもおいしく感じた。1週間も過ぎると、体がだんだん慣れてきたみたいで、はじめのような苦しさは薄らいでいった。ラマダーン中、友人宅でご馳走になるイフタールがおいしくて、それが楽しみでもあった。
ふだんムスリムどうしは「アッサラーム アライクム」と挨拶をするが、ラマダーン中は「ラマダーン カリーム」と挨拶する。いつもより挨拶が力強く聞こえる。挨拶を交わすたびに、私には「断食やってる?断食頑張ろうね」と励まされているように聞こえた。いつもより同胞意識も高まる。
寝過ごしてしまうこともあるファジュルも、ラマダーン中はその前にスフールをとるので、しっかり起きる。夜も時々タラウィーフの礼拝に行ったりして、“祈りではじまり、祈りで終わる”毎日は修道生活をしているような、聖なる空気に包まれた日々で、充実していた。
この月は特に善行がすすめられ、悪行を行わないようにいつもより意識する。貧しい人々へのサダカも皆が進んでするので、街にはいつもより物乞いの数が多い。貧しい人々にとってもこの月は恵みの月だ。
マグリブのアザーンを待ちこがれ、耳をすませてその音を聴こうとする。
ふだんモスクに礼拝に行かない人でも、この月は特別なようで、アザーンの声がすると、人々の波がモスクへと続いていく。街中がアッラーの祝福で満たされ、聖なる雰囲気がただよっているようだった。
また日中はお店も閉まってシーンと静まりかえっているが、夜になると連日お祭りのようで派手なネオンや飾りが闇を照らし、夜中まで開いている店もある。
お互いに友人宅を訪問しあい、イフタールを共に食べ、親睦を深め合ったりするので、夜の人出も多い。
この月にはラマダーンボーナスがもらえたり、仕事も早く終わったり、お店でもラマダーンセールがあったり、その後のラマダーン明けのイードホリデーは長い連休になるし、ラマダーンは人々にとってうれしく、楽しい月でもあるようだ。
確かに断食は楽ではない。正直お腹がすく。しかし、それ以上に得るものもある。
1ヶ月間の断食をやり終えて、次のように感じた。
@ 断食をすることで自分がムスリムであることの自覚が増し、共に断食を頑張っているムスリム同胞たちへの仲間意識が高まり、ムスリムの団結力とアッラーへの信仰心の高揚を感じる。
A 日々、善行を意識し、アッラーに心を向け、祈りの日々は、聖なる雰囲気に満たされ、充実した生活を送ることができる。
B 空腹を体験することで、貧しい人、お腹をすかせている人々への気持ちを思いやることができるし、貧しい人へのサダカもすすんでやろうという気になる。
C 食べ物のありがたさを実感し、その恵みを与えてくださっているアッラーへの感謝の気持ちが増す。
D 断食は己の欲望との戦いで、自我を抑える訓練になるし、忍耐力、精神力が養われる。
E 1ヶ月間の断食をやり終えたという達成感と自信もうまれる。
ムスリムでない人からは「1ヶ月も断食なんてかわいそうね」と言われるが、ムスリムたちは別に無理して嫌々ながらやっているのではなく、自ら喜んでやりたいと思ってやっているということがなかなか理解してもらえない。ムスリムにとってラマダーン月は、アッラーからの恩恵をより多くいただくことができる特別な月でもあるのだ。
ラマダーンの楽しみはそれをやってみた者にしか味わえないものなのかもしれない。
 
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