信仰生活の喜び

 

 学ぶ目的

 
家族ともども新天地で春を迎え、2人の娘も新しい学校に入学し、気分も新たに再出発しました。
さて、最近子供たちの勉強嫌いや学力低下、学ぶ意欲の欠如が世間で話題になります。


そもそもいったい何のために学ぶ(勉強する)のでしょうか?
よい成績をとりたいから、よい学校、会社に入るため・・・?


自分自身を振り返ってみて、その時々で学ぶ目的についての考えが変わってきました。
小学時代は勉強内容もそんなに難しくなかったし、興味ある分野はそれなりに楽しいからやっていたと思うし、中学高校時代はやはり受験を考え、よい学校に入りたいからというのが第1の理由でした。


学問の面白さを知ったのは大学に入ってからでした。それまでは広く浅くで、受験で暗記中心だった勉強の仕方も、大学では奥が深く、1つのことをじっくり掘り下げて自分の頭で考えレポートにまとめるのが中心で、物事を深くつきつめていくことで、それまで気付かなかった発見があったりして新鮮でした。“真理とは何か?”を探求するための勉学には、毎日新しい発見があり、学ぶことが楽しくてたまりませんでした。


社会人になり、自分とは違うものの見方をする人、論理的な考え方の人たちとも出会い、文系で理系科目はあまり好んで勉強してこなかったけど、論理的な思考力を養う数学をもう一度学んでみたいとも思いました。


高校教師をしていた時、“何のために学ぶのか?”という問いに、“いろいろなものの見方や考え方を身につけ、視野を広げるため”と自分なりの考えをもっていました。様々な分野を学ぶことによって、知識が増えるだけではなく、いろいろなものの見方、考え方を学ぶ、それによって視野が広がり、人との関わりにおいても、また社会、国際関係においても相手を理解することが出来るようになると考えていました。今もそう考えています。


ただ最近、とても理系科目とくにサイエンスの分野に興味をもつようになりました。 どうしてか?


この頃は桜の花も散り、しだいに温かくなり、新緑が目にやさしく、芽がすくすくと育って伸びていき、風も心地よく、癒されるような気持ちの良い日が続いています。


娘の学校までの通り道に小さな川のせせらぎと遊歩道があります。毎日、学校の行き帰りにザリガニや小さな川魚、鯉、鴨、虫を見つけたり、雑草でも面白い形の花や美しい色の花を見つけたりしながら、この葉っぱはどうしてこんな形なの?この花はどうしてこんなにきれいな色なの?何でこの魚は群れをなして同じ方向に泳いでいるの?ナメクジは何でぬるっとしているの?などなど私も答えられないような子供たちの質問攻めに合いながらも、新緑は何でこんなにやさしい色なんだろうと私も自然の神秘を感じながら歩いています。


宇宙の成り立ち、生態系、植物や動物、人間の体の仕組み、・・・などなど、深く学んでいくと、そこには人間の力を超えたものの力を感じずに入られません。


様々な法則、この自然界の秩序などに目を向けていくと、それらを支配し、司っているものの姿を感じることが出来ます。


“真理とは何か”を探求していくと必ずつきあたる問題があります。
イスラームでは知識を求めることがとても奨励されているのです。
クルアーンには“印”について繰り返し書かれています。
すべての事象の中にアッラーの印があります。


アッラーが私たちに示してくださっている“印”をよく観察し、熟考することによって、よりいっそうアッラーのことを理解することができます。アッラーのことを知って、近づきたい。


そういう思いが、中世、イスラーム世界に輝かしい科学と技術の発展をもたらしたのだとも思います。
また、それらを学ぶことによって、自分は何者であるかを知ることにもなります。


そしてアッラーが我々に与えてくださっている様々な恩恵を知れば、私たちはアッラーを畏れ、感謝せずにはいられなくなります。


“もっとアッラーのことを知りたい”、ムスリムになって、私の学ぶ目的にまた一つ、究極の目的が付け加わりました。


我が娘にはただ単に良い成績をとるという目の前の小さな目的のために勉学に励むのではなく、“真理探究”という大きな目的を持って、真の意味の知識を身に付け、視野を広げ、それによってアッラーのこと(その愛、恩恵、真理、英知、偉大な力など)を知り、またアッラーを畏れ、感謝するしもべとなるように、大いに勉学に励んでほしいと願っています。

 

 

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