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娘のアミナはなぜかSMAPの草g剛くんのファンで、草gくんがTVにうつると喜びます。最近、「僕の生きる道」のドラマなどでも活躍していますが、そのドラマの制作発表で、彼が「僕は死んでいくのですが、これは生きるドラマなんです」と語っていたことが心に残り、ドラマを見ていました。突然ガンで余命1年を宣告された主人公が自暴自棄になり、葛藤しながらも、それを乗り越え、残りの人生を悔いのないよう精一杯に前向きに生きていこうとするところから、今まで見えてこなかった大切なことに気付いていく・・・という内容です。
毎回、最後に流れる主題歌「世界に一つだけの花」(SMAPの新曲)の歌詞が心に響きます。
“そうさ僕らは世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい
小さい花や大きい花 一つとして同じものはないから
No.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one”
そこに、一人一人はアッラーに愛されているかけがえのない存在である、というイスラームのメッセージを感じとるのは私だけでしょうか?
私が今まで出会ってきた人々の中で、最も尊敬し、影響を受けた人物の一人にマザーテレサがいます。
20歳のときインドの「神の愛の宣教者会」の施設でボランティアをしてきましたが、そのとき感じたのは広くて深い“神の愛”と“一致”です。
マザーテレサは生涯カトリック教徒として過ごし、彼女の語る言葉はキリスト教そのものであったにもかかわらず、彼女のまわりには、ヒンズー教徒もいればイスラム教徒もいる、仏教徒もいる、国籍、宗教の違いを超えて世界中の人々があつまって協力していました。
そこには一つの行動のもとにすべての違いを超えた“一致”がありました。それはなぜでしょう?
彼女は“違い”というものに全くとらわれず、全ての者は神様に創られたかけがえのない存在、神様がその一人一人を愛されているように私たちも愛する、ただそれだけでした。すべてのものを超越した包み込むような深くてあたたかい愛を感じました。
“You did it to me.”
これは聖書のマタイ25章40節「この最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことになる」からの言葉で、マザーテレサの活動のもとでもあり、彼女がよく人々に語った言葉です。(マタイ25章31〜46節参照)。
これと同じ内容をハディースにみつけました。
彼女の精神は普遍的なもので、それはイスラームにも通じます。キリスト教はよく“愛の教え”といわれますが、それはイスラームも同じです。もともと同じ神を信仰し、同じ神から啓示された愛の教えです。
神を愛するというのは、単に祈りや自分の心の中での信仰だけではありません。神が愛をこめてお創りになった被造物の一人一人を具体的な行いで愛することもまた、神を愛することにつながるのです。
マザーテレサはまさしく活動を通して、“神の愛”の宣教者であったと思います。私はその足元にも及びませんが、一ムスリマとして、同じく“神の愛”を伝える者でありたいと願っております。
今、世界が戦争の危機に直面しています。全てのものはアッラーがお創りになったかけがえのない大切な存在であり、一人一人がアッラーに愛されている、ということを忘れてはならないでしょう。
次のハディースの言葉をアッラーから問われたとき、私たちは何と答えられるでしょうか?
「アブー・フライラはアッラーの使徒が次のように語ったとして伝えている
復活の日にアッラーは次のように言うでしょう。
アダムの息子よ(注:人間よの意)。私が病気になったのにそなたはなぜ私を見舞わなかったのか?
そこで彼は“主よ、どうやって私はあなたを見舞えましょうか?あなたはこの万物世界の主であらせられるというのに”と言った。するとアッラーは次のように言います。
そなたは私の下僕である誰某が病気であったことを知りながら彼を見舞いませんでしたね。そなたはそのときもし彼を見舞っていれば彼のもとで私を見付けたということを知りませんでしたか?アダムの息子よ。私はそなたに食べ物を求めましたがそなたはそれを与えませんでした。
すると彼は“主よ、どうして私があなたに食糧を与えることが出来ましょうか?あなたはこの万物世界の主であらせられるというのに”と答えるとアッラーはこう言い、 私の下僕である誰某がそなたに食べ物を求めたというのにそなたは彼に(何も)与えなかったことを知らないとでも言うのですか?そしてそなたがもし彼に食べ物を与えていればそれと同じ物を私のもとで見付けたであろうということを知らないのですか?アダムの息子よ、私はそなたに飲み物を求めたのにそなたはそれを与えませんでした。
すると彼は“主よ、どうして私があなたに飲み物を与えることが出来ましょうか?あなたはこの万物世界の主であらせられるというのに”と答える。そこでアッラーはこう言います。
私の下僕である誰某がそなたに飲み物を求めました。しかしそなたはそれを与えませんでした。そなたはもし彼に飲み物を与えていれば私のもとにそれを見いだすということを知らなかったのですか?」(「日訳 サヒーフ ムスリム」第3巻 527〜528頁)
「アナス・ビン・マーリクによると、預言者はこういわれた
『あなた方が自分自身を愛するように、兄弟や隣人を愛するようにならない限り、まことの信仰を持つとはいえません。』」(「日訳 サヒーフ ムスリム」第1巻 55頁)
 
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