信仰生活の喜び

 

 悪をはらう

 
2月といえば節分。日本の伝統行事の一つに「豆まき」があります。


豆まきはそもそも、災いや疫病を鬼にたとえ、悪鬼を追い払い、疫病をとりのぞく中国伝来の儀式です。
先日、2人の娘が、「今日、幼稚園で豆まきしたよ。」と言って帰ってきました。


「何で豆まきするのか知っている?」と、豆まきの由来の話をしました。ハナ曰く、「知ってるよ、心の中に入ってくる悪い鬼を追い払うんだよ。」と、年長らしく先生から聞いてきたことを得意げに話しました。
そこで年少のアミナがポツリと一言。「でも、鬼、かわいそうだよ。豆が当たったら痛いよ。鬼にご飯あげなくちゃ。」


母「そんなやさしいこと言ったら、アミナちゃんの中に鬼が住みついちゃうかもよ。」
アミナ「でも、ご飯あげなくちゃかわいそうだよ。」


母「そうね、アミナちゃんがご飯あげてやさしくしてあげたら、悪い鬼も心を入れ替えて善い鬼になるかもしれないね。」


なんだか子供のやさしい心に感動しました。どんな悪い人でも、やさしく広い心で接することによって改心する機会があると信じたいですね。そういえば、預言者ムハンマド(彼に平安あれ)も誠実、寛容、慈悲の心で人々に接しました。時には敵でさえも預言者の前で心を開き、イスラームを受け容れました。そのような預言者の広い心、愛と慈しみの態度を学んで見習っていきたいものです。


さて、話はもとにもどりますが、ちょうど豆まきの頃、今年のハッジの時期が近づいていました。豆をまいて鬼を追い払う儀式と巡礼の際に行うミナでの石投げの儀式は似ているなぁと思い、石投げの儀式について説明しました。


ミナの石投げの石柱の写真を娘達に見せながら、「イブラヒームは悪魔(シャイターン)のささやきに対して、石を投げて悪魔を追い払ったんだよ。それにならって、柱を悪魔に見立てて石を投げるんだよ、豆まきに似てるね。 ハナちゃんもアミナちゃんも礼拝やクルアーンを読む時に『アウーズ ビッラーヒ ミナッ・シャイターニッ・ラジーム』って唱えるでしょ。これは“アッラーよ、悪魔からお守りください”というお祈りなんだよ。心の中に悪魔が入ってこないように、戦うこともジハード(聖戦)って言うんだよ。」と話をすると、 ハナが「ロールパンナちゃんも悪い心と戦ってるんだよ。」と。


ハナはアンパンマンにでてくるロールパンナちゃんが大のお気に入り。スカーフを巻いている姿もかっこいいらしいが、なんでも自分に似ているんだとか。


母「ハナちゃんはどうしてロールパンナちゃんが好きなの?」


ハナ「ロールパンナちゃんには善い心と悪い心があって、心の中で戦っているの。ロールパンナちゃんは本当はいい子なんだけど、時々悪い心が勝ってしまうことがあるの。 ハナも時々悪い心が勝ってしまうことがあるの。」
まだ5歳なのに、自分の心の中に悪い心があること、またその葛藤に気付いているんだな、と感心。自分を振り返ると、そういうことは中学生の頃まであまり意識していなかったような・・・。


母「そうか、ハナちゃんも心の中で戦っているんだね。頑張れ!ハナちゃん。」


前に勉強会で、クルアーンの114章(人々章)は自分の心のうちに悪のささやきが感じられた時に読むとよい章として紹介されていたので、そのことを伝えると、礼拝の時、好んでその章を読んでいます。


「慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。言ってやるがいい。「御加護を求め願う、人間の主、人間の王、人間の神に。こっそりと忍び込み、囁く者の悪から。それは人間の胸に囁きかける、ジン(幽精)であろうと、人間であろうと。」(人々章)

「アブー・フライラによると教友らが預言者の処に来てこういった『まことに我らの心底には誰しも口にするのをはばかられる事柄、すなわち悪への誘惑心があることに気付いております』


アッラーのみ使いはこれに対し『あなた方は本当にそこに気付いたのか』とおたずねになり、『その通りです』と彼らが答えると、『それと戦うことで真実の信仰心がはっきりしてくるのです』といわれた。」(「サヒーフ ムスリム」第1巻98ページ)

 

 

信仰生活の喜びへ戻る

 

 

前のページへ

次のページへ

copyright © isuramu.com