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師走は何かと忙しい。暦どおり、走り過ぎていくようだ。
この1年、私は何度「忙しい」という言葉を連発してきただろう。いや、本当に忙しいのだからしょうがない。
この前、友人宅で外国人向けに書かれた漢字の成り立ちを絵文字にした本を見せてもらった。
そう、「忙」という字は、「“心”を“亡”ぼす」と書くのだ。
漢字は実に字の形でその意味を知らせる優れものだと改めて感心した。
本当に忙しさは心を亡ぼさせるようだ。特にこの日本は、時間の流れが速く感じる。
外国暮らしを経験する前はこのリズムが当たり前のようだった。
教師という職業柄もあったかもしれないが、約束の時間には5分前集合が自分の中での常識だった。5分でも遅刻すると、とても気持ちが焦り、待っている相手に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
インドに行ったとき、「少々お待ちください」と言われ、30分以上待たされた。忘れているのかと思い、再び約束のことを告げるが、また「少々お待ちください」と言われ、結局1時間以上も待たされた。
その間、私は忘れられているのだろうかという不安とどんどん時間がたっていくことに苛立ち、次第に“こんなに人を待たせるなんて、何て非常識なのだ”と心の中で相手を責めていた。
こんな私が、最近は時間にルーズで遅れてくる相手を許せるようになってきた。
それは私自身が時間にルーズになってきたせいかもしれない。むろん“約束の時間を守る”ことは美徳であり、人間関係においても信用と関わる。いいかげんでルーズなよりはきちんと守る方がよいのだが・・・。
私の時間に対する感覚が変わってきたのは4年間暮らしていたサウジ生活に慣れたからだろうか。
例えば待ち合わせをするとき、たいてい日本では「○時○分に会いましょう」と言うが、サウジではよく「マグリブ(日没)の後に会いましょう」という言い方をする。
「○時○分」といえば、その時間ぴったりが約束の時間だが、「マグリブ後」といえば、マグリブの礼拝をしてからだな、と30分ぐらいの時間の巾がある。
日本では時計を忘れると不安だったが、サウジでは1日5回、アザーン(礼拝の時間を知らせる呼びかけ)がなるので、アザーンを聞くとだいたいの時間がわかる。
それに加えて、約束するときは「インシャアッラー」と言うのだ。もしかしたら不測の事故に遭って行かれなくなるかもしれない。急に他に重要な用事ができてしまうこともある。
「アッラーの御心なら」ということばをそえることによって、お互いにストレスもたまらないようだ。
不測の事態があっても約束だから何が何でも行かなければならないというストレスと、待つ側もこんなに待たせるなんて何をやっているんだ、と相手を責め、イライラするストレスから解放される。「あー、何かあったんだな。来られない事情ができたのだな。」と相手を許せるようになる。
はじめのうちは、この「インシャアッラー」という言葉を聞くと、YESなのかNOなのかわからない、この人は本当に約束を守ってくれるのだろうかと不安になったりしていた。
でもたいてい、行くつもりでも「インシャアッラー」と言うのだ。そしてたいていは来る。もし来れなかったなら、たまたま何かあったのだ。“アッラーの御心ではなかったのだ”と思えば、気が楽になる。
私はいつしか「インシャアッラー」ということばが好きになった。
そう、すべては「インシャアッラー」なのだ。
礼拝時間に店が閉まるのもよい。今やっている仕事の手を止め、心も雑事から離れ、アッラーに向かう。やや強制的(店が閉まるなど)ではあるが、その意義は大きいと思う。仕事をしている人にとってはありがたい休憩にもなる。アッラーへの感謝とともに、そしてまた活力をいただく。心身ともにリフレッシュするのだ。
サウジ生活にはゆとりがあった。時間もゆっくり流れているようだった。
夫もたいてい日が沈む前に帰ってくる。それから一緒に買い物に行ったりする時間があった。毎日家族一緒に夕食をとり、子供と遊ぶ時間があった。本来の人間らしい生活ができていたようだ。
家族をいとおしみ大切にする気持ちも、このような家族とともにいる時間があって生まれてくるものではないだろうか。
日本に帰ってきて、はじめこの時間の流れについていけなかった。あっという間に時間が過ぎていく。目まぐるしい。ジェットコースターに乗ったようだ。
とにかく忙しい。何でこんなに忙しいのだろうか。
まるで時間に支配されているようだ。やらなければならないことが山のようにあり、それが重荷になってくる。
ゆとりの教育が叫ばれているが、こんなに忙しいのではゆとりなど生まれるはずもない。社会全体、生活の根本から見直していかなければならないだろう。
ああ、やっぱり“忙しい”いうのは“心を亡ぼす”ものなのだと思う。時間に振り回されず、ゆとりのある人間らしい生活がしたいものだ。
何事でも、「わたしは明日それをするのです。」と言ってはならない。「アッラーが御好みになられるなら。」と付け加えずには。 (洞窟章23〜24節)
 
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