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■ 説話集・こわれた壺より
◆礼拝後の祈願(ドゥアー)
◆自発的活動
◆金曜礼拝
◆これが私の最後の言葉になりうる
◆最も偉大な御名(イスミーアゥザム)
◆絶えず思い出さなければならないこと
◆ドゥアー時における精神的高揚
◆よそ者とされるクルアーン
◆汝自身を知る
◆異なるという思い込み
◆イスラーム世界の空虚さ
◆クルアーンを誦(よ)む
◆さあ、礼拝からはじめよう
◆異なるという思い込みはシャイターンによるものである
◆心と心の親密な繋がりと無関心さ
◆イーマーン(信仰)の道
◆タウヒードとシルクのバランス
◆預言者に従いその後を続く者達
◆秘められた宝庫
◆換言
◆お互いによって試される
◆ゴミ箱と花嫁のヘや
◆明日に向かって
◆私は変わらない、これが私なのだ
◆許しなさい、許される為に・・・
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著者について
ZAMAN(ザマン)新聞で公開されたM.F.ギュレン氏とのインタビューは、こちら。

ユーフラテス川のほとりで、たたずむ少年。
泉から湧き出るひとしずくの水。
純粋故に、にごることを知らないひとしずくの水。
透きとおった水も汚れた水と混ざればにごってしまう。
果たしてそうなのだろうか?
一滴の水が、いつしか広大な大洋となることもある。
そうして、汚れた水も、純粋な大洋の中で、安らかな水になることもある。
皆さんに「こわれた壺」からの抜粋をお届けいたします。
語られている方は、今重い病にかかっています。
でも、一滴の純粋な水は今でもユーフラテス川を流れつづけています。
その純粋なひとしずくが、ユーフラテスの泉に再び戻れますように・・・
昔々ユーフラテス川のほとりに、民衆から慕われたスルタンがおり、ひびの入った壊れたつぼで水を汲み、愛するスルタンに捧げた人がおりました。もともと水源そのものがスルタンの所有だったのですが、このこわれた壺では、なかなか水をすくい上げることができません。それでも、一生懸命水を汲もうとした貧しい人のお話が伝えられています。
「説話集・こわれた壺」はその話に因んでいます。M.F.ギュレン師が語っている言葉を文字にした文章の訳です。「こわれた壺」はその話に因んでいます。
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