説話集・こわれた壺

 

 ひとしずく

 

説話集・こわれた壺より

  礼拝後の祈願(ドゥアー)

  自発的活動

  金曜礼拝

  これが私の最後の言葉になりうる

  最も偉大な御名(イスミーアゥザム)

  絶えず思い出さなければならないこと

  ドゥアー時における精神的高揚

  よそ者とされるクルアーン

  汝自身を知る

  異なるという思い込み

  イスラーム世界の空虚さ

  クルアーンを誦(よ)む

  さあ、礼拝からはじめよう

  異なるという思い込みはシャイターンによるものである

  心と心の親密な繋がりと無関心さ

  イーマーン(信仰)の道

  タウヒードとシルクのバランス

  預言者に従いその後を続く者達

  秘められた宝庫

  換言

  お互いによって試される

  ゴミ箱と花嫁のヘや

  明日に向かって

  私は変わらない、これが私なのだ

  許しなさい、許される為に・・・

著者について

 

ZAMAN(ザマン)新聞で公開されたM.F.ギュレン氏とのインタビューは、こちら

 

ユーフラテス川のほとりで、たたずむ少年。
泉から湧き出るひとしずくの水。
純粋故に、にごることを知らないひとしずくの水。
透きとおった水も汚れた水と混ざればにごってしまう。
果たしてそうなのだろうか?
一滴の水が、いつしか広大な大洋となることもある。
そうして、汚れた水も、純粋な大洋の中で、安らかな水になることもある。

皆さんに「こわれた壺」からの抜粋をお届けいたします。
語られている方は、今重い病にかかっています。

でも、一滴の純粋な水は今でもユーフラテス川を流れつづけています。
その純粋なひとしずくが、ユーフラテスの泉に再び戻れますように・・・
昔々ユーフラテス川のほとりに、民衆から慕われたスルタンがおり、ひびの入った壊れたつぼで水を汲み、愛するスルタンに捧げた人がおりました。もともと水源そのものがスルタンの所有だったのですが、このこわれた壺では、なかなか水をすくい上げることができません。それでも、一生懸命水を汲もうとした貧しい人のお話が伝えられています。 「説話集・こわれた壺」はその話に因んでいます。M.F.ギュレン師が語っている言葉を文字にした文章の訳です。「こわれた壺」はその話に因んでいます。

 

  

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