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説話集・こわれた壺 |
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明日に向かって |
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今日に至るまで数世紀もの間、イスラーム世界は過失という魔の手につかまれて身もだえし、自らの精神や真髄に何らかの救いを求めることもできないでいました。その手をふりほどき二歩前進することに成功しても、すぐに何歩か後戻りし、脇道にそれて己を見失ってきました。
そのような気まぐれな放浪もしくは故意の逸脱(そこでは害が益を上回り、害が益を一掃してしまうのですが)は、社会が自己に内在する自らの能力を見出さんとする努力を妨げ、成し遂げられた努力やそれに取り組もうとする人々に深刻な支障をきたすのです。我々は、この広い世界にあるあらゆるものが修復不可能なまでに悪化し、国家や民族の車輪が本来の姿と反対方向に転がっていくのを目撃してきました。
宗教は個人的な生と全体としての生のすべてを包含します。それは理性、心そして魂といった我々が持つすべてのものに介在します。また我々の意図に応じて行いのすべてに色を施し、すべてのものを色で染めるのです。
そして判断力によって霊感が無視されることもありません。よって信者の精神世界では、経験は知性に向かって伸びた光からなる梯子(はしご)であり、知識は理解と知恵と直感によって強化された砦(とりで)なのです。信者は愛という巨大な翼にのって無限性へと舞い上がり続けるワシに喩えられるでしょう。もしくはその砦の上で、知性という刻印と木槌を用いて全存在を浮き彫りにする浮き彫り細工師ともいえます。そのような知力があるところではいかなる割れ目も存在せず、個人であれ全体であれ人間性をないがしろにすることはありえません。
現実問題として信仰心を持つ人々の間でも揉め事や衝突が発生してはいますが、同じ精神を信奉しながらも、信仰の程度が異なったり、誠意を保つことができないためにそれは起こるのです。そのため,時に自らの感情を乗り越えることができず、打ち負かされてしまうのです。本来は、信仰に備わった美徳はそういった災難を容認することももたらすこともできません。実にそうした不幸に陥るのを避ける唯一の方法は、宗教があらゆる制度とともに我々の日常生活に確立され、社会全体の生き血となるようにすることです。
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