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説話集・こわれた壺 |
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イーマーン(信仰)の道 |
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見返りを求めない事
人はそれぞれに備わっている意識にしたがって、自分自身に与えられた役目(義務)を果たします。この事についていつもお勧めしたい事が一つあります。宗教に、国や政府にそして人類に対してどのような種類の奉仕でもよろしいのですが、奉仕をいたしましょう。けれども、何を行う時も、決して見返りを求めることがあってはなりません。これが私の助言です。人は行った奉仕に対して、いろいろ想像して、見返りを望むならば、もし見返りがない場合(アッラーが私達をお守り下さいますように)そっぽを向いて去ってしまう事があります。私はいつでもドゥアーする時、「アッラーよ。どうか、友人たちを私によって、そして、私を友人達によって、恥じ入らせないで下さい。」と想念します。
なぜなら、世の中には一般的な明らかな見方や受け入れ方があり、それを私達は大切にする必要があるからです。そうです、人は、行おうとしている事を、よく検討し、自我をコントロールしながら、必ず精神的に自我を無(ゼロ)の状態にしなければなりません。又、自分自身にも、それを信じさせる事が必要です。そして、偉大な事から些細な事まで、私達が行った事に対して決して自分自身が成し遂げたと考えてはなりません。 偉大な先人も、善行を為した状態と認められるような場合にも、ご自身を、「私達はいったい何者でしょう、些細な無力な者達です。」と仰るに違いありません。さもなければ、逆に、私達は夢のような考えや見返りを求める心におぼれて、息絶えてしまうことでしょう。
すべてを愛情に満ちたまなざしで眺め、愛情に溢れた耳で聴き、万物を彼(アッラー)のためにのみ抱擁し、香りを感じ、いつくしみます。信じぬ者達にも同様に感じます。そう、神を否定するという泥沼をさ迷う人々にさえ情愛溢れるまなざしで見つめます。そして見つめながら「ああ、もしかれらがアッラーを信じる事ができるならよいのに、、、」と語るのです。と、同時に我にかえり「アッラーに赦しを乞います。アッラーよ、(信仰を与えられるのは)あなたのみの御しるし、あなたのみが可能です。」と祈り、信じぬ者達が信仰を得られない事への(アッラーの)英知を彼らは探し始めます。
たとえば、「リサーレイ・ヌールでしばしばテーマとなる「無力さと弱さ」について、万有、万物、そしてすべての出来事をこの視点からとらえる方は、自分自身の弱さと無力さを理解でき、その無力さと弱さの中に、彼(アッラー)の遠大な情愛を見出します。そしてこの世界や自分自身(自我)について深く深く考え、アッラーをより多く知ることができます。これらすべては、真剣にアッラーに向かい続けるためのよいきっかけとなります。
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